パソコン教室のエフセブン
都内の外国語大学に通っている友人のところに行くと、テレビを見ることができた。それ以外にもおなかがすいたり、風呂に行きたくなったり、お茶(※当時は未成年ですから)を飲みたくなったりすると訪ねていった。
世話になりっぱなしなのは申し訳なかったので、友人のオリベッティ(機械式の英文タイプライター)で論文の写しか何かを手伝った。
慣れてくると友人より早く打てるようになった。当時テレビの「異邦人(久保田早紀)」に合わせながらガチャガチャやっていたのを覚えている。
そのうち自分のタイプライターが欲しくなったが、新品はとても高くて手が出せない。新宿の質流れ品などを置いてある店で、古い機械式のブラザー・ヤングエリートを買った(当時は既に電動式のボールポイントが主流になりつつあった)。
このタイプライターは、英語の歌詞を書きとめたり、カセットテープのラベル作りなどにずいぶん重宝した。
今ではほとんど使う機会はないが、新しいリボンを用意して、いつでも使えるように教室の片隅に置いてある。
時まさに1978年には、日本で最初のワープロが東芝から市販されている。当時のワープロは、事務机ほどの大きさのある、大変高価な機械設備であった。
1985年に、はじめて購入したワープロは、五十音配列のキーボードをもつ、ソニーのパーソナルワードプロセッサー
[HW-30] ヒットビットワードだった。当時のアイドル歌手、松田聖子がテレビコマーシャルで、「ひとっびとーの、ヒットビット〜♪」と歌っていた記憶があるが、どうだっただろうか。
ディスプレイは1行でしかも10文字分しかなく、フロッピーディスクも付属していない。メモリーは全角文字で1,280文字記憶できるのみで、1〜2枚の文書を記憶するのがやっとだった。印字できる文字は、16ドット角でギザギザの目立つ文字である。
それでも電池で動き、2.6kgと軽く、持ち運びに便利な取っ手が付いていた。日本語が打てるようになったことで、このワープロもまたいろいろと活躍した。
初めてさわったパソコンは、NEC PC-9801シリーズのVM21、その後DSそれから、ノートNSなどだった。OSは、MS-DOS全盛の時代であり、常に5インチや3.5インチのフロッピーディスクを持ち歩いていた。
もともとはコンピュータを扱う仕事ではなかったが、当時会社のシステムを改良する必要があった。もともとBASICで書かれていた外注ソフトを書き換えているうちに、パソコンの動くしくみを覚えた。当時使用していたテキストエディターはMIFESであった。
きれいな画面に文字が並び、自分で作ったソフトが思い通り動くのを見るのは楽しかった。
そのうち、会社の上司がリレーショナル・データベース・ソフト、dBXL(ディービーエクセル)を購入し、システムをこのソフトで一から作り直すことになった。当時はBASICでもそうだったが、画面を構成するメニューなどの部品も自分でプログラムする必要があり、最終的にすべてのプログラムソースをプリントアウトすると、厚みが10数センチにもなった。
SONY NEWS
この資格を得ていなければ、パソコンで仕事をしようとは思わないだろう。